花咲く港<光の帝国〉
薄闇の中にその姿は従容として、ひとり立つといった風情である。
ライトアップされた旧古河鉱業ビルを初めて見たのは、一昨年の初夏の宵だった。
9時を前に行き交う人も車も既に無い。
波音を耳に佇んでいると、その光のせいなのか様々な想念が巡る。
ユキさんがこの町へ嫁いできたのは21歳のときだった。
当時、町へは船で渡るしかなかったから、海岸通りの活況は今でもよく覚えている。
やがて最初の子供が生まれ、戦争の時代が終わった。それからまた子供が生まれ、合わせて4人を設けた。
その間にも、その後も様々な出来事があった。不仕合わせな事も勿論あった。ユキさんはそんな時、
いかついけれど優しかった義父の言葉を思い出す。
「出来たことが良いことだと思え」。人生には自分の思い通りにならないことも多い。
だから起きたことはすべて受け入れてゆく。そうやって生きてきた。嬉しいこと悲しいこといろんなことがあったけれど、
この古河ビルと同じ様な年齢を刻んで今、ユキさんはこれまでの人生を幸せなものだったと思っている。
子供の頃、今見ている星の光が実は数億光年前に放たれたものだと聞かされても俄には信じ難かった。
しかし、夜空に浮び上がるビルに一人向き合っていると、光は確かに過去からのものだと知る。